毒親育ち

ヤングケアラー【子どもの権利を守る】

最近ニュースや新聞で「ヤングケアラー」という言葉が流れてきますが、毒親育ちの私はこの「ヤングケアラー」という言葉に反応しました。

もちろん毒親ではないヤングケアラーの親はいると思いますが、こどもに家族のケアをさせている時点で毒親じゃなくても「毒親予備軍」にはならないだろうかと思いました。

このブログを読むと
ヤングケアラーについて知ることができます。
どうぞお付き合いください。

ヤングケアラーとは

「ヤングケアラー」とは、家族の介護や世話を担う子どものことです。

ヤングケアラーを日本語にすると「若い介護者」。

「介護」という言葉は広辞苑によると「高齢者や病人を介抱し、日常生活を助けること」ですが、介護をするという意味だけでなく、このヤングケアラーの「care」は「気にかける 注意をはらう 気配り」という意味合いがあるので、ケアラーは「介護」よりも意味合いが広くなります。

ではたとえば、

家に病気の親の介護や世話をしたり、同居する祖父母の世話をしたりする子ども

これは想像がするだけでも大変そうですね。

では

いもうとやおとうとがいる子どもがきょうだいの世話をする

これはどうでしょうか。
これってよくあることではないですか?
親が「ちょっと手が離せないからおとうとの面倒見といて~」って気軽に言ってしまいそうです。

このたび政府は、幼いきょうだいの見守りや家事をおこなう子どもがいる家庭について、家事支援サービスをおこなったり、ヤングケアラーの子どもがSNSで相談できるような体制案を盛り込んでいるようです。

つまり政府は、自分のきょうだいや親や家族の世話をしている子どもに手を差し伸べようとしているようです。

ではなぜこの「ヤングケアラー」が問題になっているのでしょうか。

ヤングケアラーの背景

昔から家族の世話やお手伝いをする子どもはいます。忙しい親に代わってきょうだいの面倒をみたり、おじいちゃんおばあちゃんの食事を手伝ったりしていました。家族の手伝いをするのは悪いことではありません。

ではなぜ「ヤングケアラー」が問題になっているかというと、「家族の形」が昔と変化したため、子どもの負担が大きくなっているからです。

昔は祖父母と同居したり、きょうだいも多かったため、世話をする対象の人がいてもみんなで協力してやっていました。
ですが今は核家族が増え、両親は共働き、ひとり親の家庭も増えました。一人世話をする対象の人がいると一人一人の負担が大きくなっているのです。

それなのに昔からの「家族は助け合うもの」という風潮は変わらず、親もこどもも負担が増えていることに気が付いていないのです。

ヤングケアラーの生活は

ヤングケアラーはこどもながらに自宅で家事や介護、見守りをしています。
よほど小さい子どもはできませんが、中高生にもなると守られるべき存在から、家事や介護の担い手として家族に協力をしています。

学校に行っている間は守られていますが、自宅に帰ると病気の親や祖父母の介護をしたり、幼いきょうだいの世話をしているのです。

子どもが子どもらしく生活することって

子どもが子どもらしくせいちょうすることってどういった環境のことでしょうか。

衣食住の環境が整っていて、勉強したり遊んだり、部活をする時間があることでしょうか。

こどもが成長していくなかでの心身の健康や、勉学に集中する機会は大切で守られるものです。

ですが、家族のかたちが変わった今、ヤングケアラーの子どもにとっては、家族の一員としての責任が重くのしかかり、ケアラーとして家族の世話をすることで、勉強や睡眠時間が削られ、親が仕事や病気などで手がまわらないとき、自分の食事や家族の身の回りのこともしなくてならない環境になりつつあります。

私自身はヤングケアラーではありませんが、幼いころから世話をされたことが少なかったので、ヤングケアラーと共感できることが多いです。

もしかしたら私の親もそうかもしれませんが、「こどもにさせている意識」が低いのかもしれません。

家族なのだから、できる人がやる」
「一度できたのなら次もできる」
そしてそれが「当たり前」になっていく。

子どもも「家族のちからになりたいし、自分でできることはやろう」と思うかもしれません。
どんな親でも子どもは親のことが好きですし、「無理をしている」ことに気が付かずにケアをしていることもあるかもしれません。

実際に私も小学校に入るとすぐにご飯も炊けるようになっていましたし、生活していくために料理も洗濯もやらなければならず、いつのまにかできるようになっていました。

ヤングケアラーはだれのお世話をしている?

ではヤングケアラーは主にだれの世話をしているのでしょうか。

実際にケアをされる家族というのは「きょうだい」が一番多い。

両親共働きで家におらず、学校から帰るといもうとやおとうとの世話をするのが当たり前なこどもがいるのです。
お世話をしているあいだは、自分のやりたいことを我慢したり、やりたいことを考える余裕もなかったり、自分の時間がなくなったりします。

親や周りからは「きょうだいの面倒をよく見るいい子」ととらえられ、褒められることも。

ヤングケアラーも褒められることはうれしいので、世話をするのが好きになる子もいると思います。

勉強や部活をするよりも家族の世話のほうが優先事項になるのです。

そしてもし世話ができなかった場合はどうでしょうか。

親や周囲から「やってくれてありがとう」→「期待を裏切られた」「なんでやれないんだ」に変わります。
いつのまにかやってくれて当然になっているのです。

それはその子にとってもつらいことになり、断ることもできなくなってしまいます。

そうなると、いつのまにか「家族のケアをしなければ家族の一員ではない」という無意識の空気が家庭内に蔓延する可能性があります。

 

政府の「ヤングケアラー」の支援策は

政府は家族のトイレや入浴や食事の介助をするだけでなく、幼いきょうだいをケアする子どくもも「ヤングケアラー」として支援策を考えるようです。

「おねえちゃんなんだから」「おにいちゃんなんだから」と自分の時間をなくしてまでお世話をしている子どもも支援がおこなわれることはとても良いことだと思います。

ですが政府がいくら支援の窓口やSNSを利用したとしても、実際のヤングケアラーたちがはたしてどれくらい声を上げることができるのでしょうか。

家族の問題を行政に持ち込むのはとても勇気がいることです。まして親が気付いていないのであればなおさらです。

子どもが苦しい、助けてほしいという気持ちで、行政や周りに助けを求めるということは、親からしてみたら「自分がいたらないことが世間にばれる」ことでもあります。

親はそれを認めたくないかもしれません。

また今までできていたのに「なぜ今頃になってできないなんていうのだ」と思うかもしれません。

それに助けを求めることで他人が家庭に入ってくることがイヤなひともいるでしょう。

健全な親ならば
「そんなに苦しい思いをしていたことに気が付かなかった。申し訳ない。負担をなくせるように助けを求めよう」
となるのでしょうが、

そうでない親は
「家族なのに手つだいや世話がしたくないのはわがまま」
「家族なのに助け合えないのならそれは家族ではない」
だと突っぱねる可能性もあります。
その突っぱねは子どもにとってはとても怖いものです。
家を追い出されるかもしれない恐怖、見捨てられ不安が襲ってきます。

そんなことを考えると、はたして助けを求めることができる子どもはいったいどれくらいいるのでしょうか。

まとめ

ヤングケアラーは核家族化が進み家族の人数が減り、介護や世話が必要な人がいた場合の人手不足の担い手としてケアをおこなっている子どものことです。

こどもは存在するだけで守られるべきものなのに、気が付かないうちに子どもの成長や経験に必要な大切な時間を奪い、家庭の世話をさせていることがあり、それを支援しようと政府も支援策を発表するようです。

窓口や相談先ができることは大切です。実際に助けを求めるかどうかは別にしても、「どうしょうもなくなったときは助けを求めることができる」という希望があります。

支援策ができたとしてもすぐには解決できない問題かもしれませんが、こどもの心身の健康や勉学に励む時間を守るためにも必要な支援であり、ひとりでも多くの「こどもの権利」が守られるような政策になってほしいです。