毒親から離れたい。独立して生活がしたい。
そう思うのは当然です。
毒親と一緒に住むというのは、自分の人生をずっと搾取されているのと同じです。
搾取されるものは、自分のもの全部です。心も時間も社会人ならお金も。
毒親はいろんな手を使って子どもに執着してきます。
毒親育ちはそういわれるのが普通の生活。
毒親はこれを変なことだとは1ミリも思っていません。
普通の親ならばそんなことはしません。
毒親は子どもを一人の人格だとは思っていません。
子どもは自分の言うとおりになる物だと信じているのです。
あなたがもし独立できる年齢であれば、ぜひ毒親から逃げてください。
自分の人生を生きてください。
今ある生活から変化するのは、毒親育ちにとってはとても怖いのもわかります。
なぜなら、毒親によってこどもは自己肯定感が育っていないからです。
自己肯定感がないと、なにごとにも自信がないのは当然です。
ですが早めに逃げましょう。
今のまま毒親に搾取されつづけていいわけがありません。
毒親どうして独立したほうがいいのか
先ほども書きましたが、親はこどもを一人の人格と思っていません。そんな人と一緒にいると自己肯定感は全く育ちません。
自己肯定感が育たないと、自分を大切にできません。
毒親を持ってしまった人は、自分の希望を殺して今まで生きのびてきました。そうしなければ生きてこれなかったからです。
ですが、独立できるのであれば逃げましょう。
親を捨てるなとか、親を大事にしないと罰があたるとか、毒親も周りもいろんなことを言ってきます。
ですが、逃げてください。物理的に距離を置かなければいけません。
親を大切にできる人、親を大事にできる人は、自分が大切に大事に育てられたからです。
自分が大切にされてもないのに、親のことを大切になんてできなくて当然です。
周りと自分は違います。私も大事にしたいと思える親が欲しかったと思うかもしれませんが、毒親を持った時点でそれはあなたのせいではなく、その親の問題なので、さっさと手放しましょう。親から大切にされていないと感じるのであれば、独立しましょう。
毒親からの独立する方法
毒親から独立するには、やはり実家を出ていくことです。
1人暮らしだったり、共感できる兄弟がいれば兄弟だけで住む。会社の寮なんかもいいかもしれません。
毒親はなんとかして子どもの独立を阻止してきます。
なぜなら、子どもは自分の所有物なので愚痴を聞いてもらわないといけませんし、お金を家に入れるのは当然ですし、今まで育ててやった恩を返してもらいたがるのです。また子どもを育てる身分でありながら、子どもがいることで自分の精神状態や生活を保っているのです。
なので「親を捨てるのか」や「親不孝者」「誰が育ててやったと思ってるんだ」というセリフが平気で言えます。
私が独立した方法は、社会人2年目の時です。
母親と同居しているときは月に5万円家に入れていました。
当時は就職氷河期になんとか入社した会社をわけ合って3カ月で退職。
会社からの要請だったので3カ月しか働いていませんでしたが、30万円の退職金をもらいました。
次に入社した会社は9月から出社しはじめたので、空白の三カ月分は退職金からしっかり15万取られました。
最初に入社した会社の給料は手取りで12万くらい。次に入社した会社は15万くらいでした。決して高給取りではありません。
9月に入社して半年もしないうちに、自宅が競売に掛けられました。
【宅建士試験】勉強期間3カ月の私が、一発合格できた理由 参照
当時母親は自分の仕事を退職していました。
私と姉からの給料で生活していたのです。
それゆえ、自宅が競売に掛けられたとき、姉とふたりで住むことを決めました。
母親に内緒で不動産屋に行き、契約をしました。
競売に掛けられてから家を出るまではあっという間でしたが、なんとか毒親から離れることができたのです。
毒親から独立したときの生活費
当時の私の手取りは15万円。
部屋を借りるのには敷金、礼金、引っ越し代、新居に必要な家電や家具代が必要です。
私と姉はそれぞれ貯金から20万ずつ用意しました。
生活費は実家にいたときと同じ5万円(合計10万円)
10万円の内訳
家賃 | 65000円 3LDK地方でこの金額。駅から遠い。古い。 |
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水道光熱費 | 1万2千円程度(年間の平均) |
食費 | 3万円前後 |
個人で使う費用(給料残り10万)
携帯 | 約1万前後。当時は格安などなかった |
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ガソリン | 1万円。通勤に使用。 |
残り | 5万程度で衣服、美容、交際費、外食費 |
奨学金は半年払いで75000円×2=15万。ボーナス(年間50万程度)で返納。
こういった生活をしていました。
正直、実家に住んでいるときにすでに5万を支払っていたので、金銭的負担に変化はありませんでした。むしろ毒親と離れることで精神的には良い方向にプラスです。
独立するまでは、実家を出ることがとても怖かったことを覚えています。
毒親からの呪いで、私のような者自立した生活なんてできないと本気で信じていたからです。毒親からは生活をするには膨大なお金がかかると刷り込まれてきました。
自分たち子どもにどれだけお金がかかっているのかを延々と愚痴られ、恩を着せられてきたからです。
実際に家を出て自活してみると、生活できます。
私は姉妹で住んだので負担がやや少なかったかもしれませんが、一人暮らしであれば家賃はもっと下げられます。
収入が少なくても少ないなりの生活ができればいいと思います。
毒親から独立したときの精神状態
毒親から独立したあとの気持ちはこうでした。
「やったー!毒親から離れたので自分の人生楽しむぞ!」
残念ながらそうは思えませんでした。
毒親からの影響は離れた後も続きます。
自分は独立するまでの20数年、大切にされたことも少なく、自己肯定感なんて皆無。
そんな私が親から離れたからと言ってすぐに自己肯定感が上がるわけでもないですし、むしろ「親から離れて住むなんて親不孝」という世間の批判をうけたり、ほかの人は就職しても親とうまくやっていることと比較して、自分の状況を悲しく思ったり。
大学の友達は親元に住んだまま就職したあと、お給料は全部自分のために使って遊んだりしているのを見ると、やはりなぜ自分だけこんなに苦しい生活(金銭的にも精神的にも)をしているんだと思いました。
なので毒親から独立しても、自分を責めるクセは治らず、物理的には親から離れることはできましたが、精神的には毒親の呪いにかかったままでした。
毒親から独立したその後
毒親から苦労して独立しても、すぐに幸せになれないのであれば、独立する意味なんてあるの?
そう思うかもしれません。
実際、毒親から独立したその後は、自分を責める性格は続きました。
ですが、毒親と住んでいた時毎日愚痴を聞かされ責められ、時間とお金を搾取されていた実家時代とは比べ物にならないくらい楽な生活になりました。
一度離れると、二度とあの生活には戻りたくありません。
あの時本当に独立できて良かったと思います。
アダルトチルドレンという言葉を知ったのも、ちょうど家を出たくらいのときでした。
当時のアメリカ大統領が「自分はアダルトチルドレンだ」と言っていたからです。
その時はまだ新しい単語でしたが、自分もそうだと思いました。
毒親から独立するのは自分の人生を生きる第一歩
毒親と一緒にいるのが辛い。自分の人生を搾取され続けている。
是非毒親から独立して逃げましょう。
私の母親は当時無職でしたが、私と姉は二人で家を出ました。
一緒に住めばまた搾取され続けるからです。
母親からは「親を捨てるのか」と相当罵られました。
ですが、もう敷金も礼金も不動産屋に支払って契約した後なので覆りません。
引き返さないためにもだまって契約したことは正解でした。
親にしてもらったことを子どもはやります。
大切にしてもらったなら、親のことは大切にします。
そうでなければ、それ相応の態度になるのは当たり前のことです。
当時は自分を責めたりしましたが、今となっては大切にされてきていないと感じるのであれば大切にしなくていいと割り切れるようになりました。それは毒親だけでなく、人間関係全体にも言えることです。
自分のことを大切にしてくれない毒親から独立するのは自分の人生を生きる第一歩。
私は独立した後数年後に体調を崩しますが、今考えると独立した当時はまだ若かったので体力と気力があったから乗り越えられたことなのかもしれません。
もし30過ぎまで毒親と一緒にいたならば抜け出せる力があったのか・・・。
なので、もし毒親から独立したいと思う方はできるだけ早く、一日でも若いうちに行動に移したほうがいいと思います。
自分の人生を取り戻しましょう。搾取されるのはもうやめにしましょう。